気まぐれ日記 2010年1月
2009年12月はここ
1月1日(金)「昨年の疲れを感じる元旦・・・の風さん」
例年カウントダウンをしっかり聞く大晦日だが、昨夜は直前に書斎から階下へ熱っぽい体を運び、ワイフに「明けましておめでとうございます」と気のない新年の挨拶を送りつつ、ホット・ミルクセーキを作りにかかった。
既に、花粉症の薬から、栄養ドリンク、さらに風邪薬そのものも服用済みである。しかし、もし本当に風邪だったら、学位論文をまとめなければならない、この大事な時期に、無駄な時間を過ごすことになる。そこで、いつものオリジナル・ホット・ミルクセーキ作りとなった。カップ1杯分を作るのだが、卵は黄身だけ2個を入れる。甘みは蜂蜜があればベストだが、昨夜はなかったので砂糖。とにかく、なべで温める間、固まらないように必死にかきまぜる。そうして舌がやけどしそうなくらい熱いホット・ミルクセーキを作った。
そして、とどめの風邪薬も飲んだし、腹が減っては戦ができぬのたとえに従って、余っていたおにぎりを3個たいらげた。
そうして、今朝は正午近くまでベッドの中にいた。
知らなかったが、昨夜から今朝にかけて名古屋では降雪があったらしい。知多半島南部の当地も、猛烈な北風が吹きつけていた。
目覚めた頃は、外は青空で、少し節々に痛みを感じたが、鼻水も止まり、くしゃみも出ない。まして、発熱など感じなかった。花粉症か風邪か判別はできないけれど、どうやら治ったらしい。
長男のところへ遊びに来ていた友人も未明には帰ったらしく、恒例の元旦の食事は、ほとんど昼食だった(笑)。むろん長女は仕事でいない。お屠蘇をお猪口1杯だけ飲んで、雑煮を祝った。子供らへもお年玉を配ったが、世の中の不景気は子供らは感じていないだろう(私がど貧乏のどん底に落ちていることなど全く知らないだろう)。
早速年賀状のチェックをして、出していない人の分を印刷した。明日の分と合わせて投函する予定。
中国にいる中国人留学生と日本にいる中国人留学生から、新年を祝うメールが届いたので、グリーティングメール年賀状を送った。夕方には、アメリカの知り合いに送ったグリーティングメール年賀状が開封されたことを知った。便利な世の中だ。
ケータイの電池を新品と交換した。
今年最初の買い物は、bk−1で書籍である。
学位論文にも着手したが、まだ頭がスッキリしない。たまたま2次方程式を解く必要が生じたので、エクセルの中に都合の良いソルバーでもないものかとネット検索したら、何のことはない、根の公式を使って解くんだと!
門灯をいろいろと操作して調べているが、どうもセンサーとタイマーが壊れている気がする。せっかく、新しい蛍光管とグローランプを買ったのに……。
1月2日(土)「門灯が完全復活か・・・の風さん」
昨日より早い11時前に起床した(笑)。でも、カーテンの外はどんよりしていた。
外へ出て門灯を確認すると点灯しっぱなし。やっぱりセンサーとタイマーの故障かなあ。コンセントの入れ替えをしてみた。これが最後の挑戦かも。
今日も年賀状が来ていて、二日間で、13通出す必要があった。
早速印刷し、ワイフと投函を兼ねて近所の神社に初詣に行くことにした。
部屋着の上に、上下1枚ずつ重ね着し、マフラーを巻いた上に裕次郎のウィンドブレーカーを着込んだ。さらに電池式カイロをポケットにしのばせ、手袋もして、準備万端完璧OK。
これで、ミッシェルのハンドルを握ったと言ったら、誰も信じないだろうが、本当だ(笑)。
サークルKの駐車場にミッシェルを停めた。客は一人もいない。
初詣に先に行ったが、ここも誰もいない。先に家を出た次女が来ているはずだが、その姿も見えなかった。
しっかりお参りした。
サークルKの店内に入った。すぐにバイクの客が二人入って来たが、目的の品物がないので、帰って行った。
近所にコンビニができたのに、品不足ではそのうちつぶれるだろう。
好物のチョコをワイフに買ってもらってミッシェルで帰宅。
昼食後、学位論文に着手。
全体構成の見直しをした。たらたらやっていたが、ようやく全体像が見えてきた!
既に夕闇が迫っていたので、外へ出てみると、門灯が自動点灯していた! センサーとタイマーがつながっているコンセントにつながったらしい。これで明日も自動点灯、自動消灯していたら完全復活だ。
1月3日(日)「機嫌がよくても論文は進まない・・・の風さん」
朝起きて門灯の確認をするのが楽しみだった。
風も弱まっていて穏やかな朝である。
門灯はちゃんと消えていた! これで数年来点灯することがなかった門灯が、ちゃんとセンサーとタイマーで点灯・消灯を繰り返すようになった(まるで家のケアをしていなかったことがバレバレ)。
今日の朝食はトースト。早くも正月が遠ざかっている感じ。
朝刊に自殺未遂の人を救うボランティアの話が載っていた。確か年末には、ホームレスの人を無料で診療する医者の記事が出ていたが、世の中には立派な人がたくさんいる。不幸な人を作らないようにすることも大事だが、不幸な人がゼロにならない以上、それを助ける方策も多面的に必要だろう。ボランティアの人をもっと支援すべきだ。
論文はなかなか進まないが機嫌がよくなったので、ワイフのケータイにEXILEの「愛すべき未来へ」を入れてやった。先日帰省した長女が有料で1曲ダウンロードしていたが、何のことはない、CDがあれば全曲マイクロSDへ入れることができるのだ。しかし、それにしても、ダウンロード代は、いったい誰が払うと思っているのだろう。私だ。
昼食後、腹ごなしに(まだお節が続いている)屋外にあるタンクへ灯油を補給した。少し風が強くなっていて、灯油が風で顔にかかった。やれやれ。
今日は、データ整理に最小二乗法を使いたかったので、ネットで調べた。エクセルのソルバーという機能を使えばできることを知った。ソルバーをインストールしてしこしこと実行。
なーんだ、簡単じゃん。やればできるってことか。
午前1時過ぎまで頑張ったが、予定していたグラフの作成が終わらない。
大野先生からメールがあり、ゼミの予定変更が成立しないことが分かった。これで、ますますピンチである。
1月4日(月)「ひたすら論文に集中・・・の風さん」
たっぷりあった(と思う)年末年始休暇も、あと2日しかない。
焦って早起きした。
今朝もトーストとミルクの朝食。
朝刊を読んで感動した記事が今日もある。政治風刺漫画……はいつものことで、そうじゃなくって、元シンクロの選手、石黒由美子さんのインタビュー記事。世事にうとい風さんなので、知らなかった。こんなにすごい人がいたとは! これだけの逆境だったら、自分はとっくにへこたれていたと思う。頭が下がる。
書斎へ直行して、昨日の続き。
そろそろホームページも更新したいのだが、……。
グラフ作りが午前中かかってもできない。どうしてこんなに時間がかかるんだろう。
今日も年賀状が少し来たが、例年になく遅く少ない感じだ。活字ばなれは年賀状にも押し寄せているからなあ。
私が連日論文作成に没頭しているのでワイフが不機嫌になってきた。
「どこにも連れて行ってくれないし」
やばい。
夜の9時過ぎに、やっと大物のグラフ作成が終了した。
疲れたので、この続き(論文執筆)は明日にしよう……って、もう明日しか休みはない!
年が明けてから、アルコールはお屠蘇をお猪口に1杯半しか飲んでいない。明日も酒は飲めない。
1月5日(火)「気まぐれ日記をちょっと中断・・・の風さん」
朝から執筆開始。小説ではない。学位論文だ。
原稿はお手の物と言えば言えるが、いい加減な文章は書けないので、やはりそれなりに時間がかかる。
集中するためには適度に体を動かす。
2階と1階を何度も往復する。
今日も年賀状が少し届いた。
出さなかった人からも来たので、また2枚印刷した。
その後も執筆。
進捗状況から判断して、やはりピンチである。
本当に一段落するまで、気まぐれ日記はしばらくお休み。2010年、書き始めて、もう中断(笑)。
1月6日(水)「またまた計算のやり直し・・・の風さん」
久しぶりの会社だが、超多忙な日々を過ごしているので、感慨が薄い。
そして、出社したらしたで、また忙しい。
一瞬のように本社を往復してきたが、快晴の天気でも油断は禁物、ちゃんとコートを羽織り、ポケットにはカイロもしのばせている。だから安心。
定時後にやっと同僚と社会人研究の計算結果について議論できた。
その結果、またまたミスを発見してしまった!
前提条件をいじっているうちに、当初得られた美しい結果が出なくなってしまったのである。
その調整に午後8時過ぎまで二人で取り組んだが、満足の行く結果は出なかった。
とりあえず職場を撤収して帰宅。
帰りに灯油を買うのは忘れなかった(笑)。
帰宅すると、な、なんと投稿してあった「経営情報科学」向けの論文の初稿ゲラが届いていた。
開封してビックリ。15日までに返送、とあった。機械学会の前刷りの締め切りと同じ日だ。
夕食後、同僚とメールのやりとりをした。
午前零時前に同僚には休んでもらうことにして、その後も私は前提条件の再挑戦に取り組んだ。
あ〜、こんなんじゃあ、論文の執筆ができない〜(涙)。
1月7日(木)「日本酒蒸発事件・・・の風さん」
せっかく取得した有休なのに、しかも、当初大野先生と約束したゼミも中止したのに、想定外の計算のやり直しに取り組んでいる。
こうして、ほとんど論文に手がつけられないまま、時間はどんどん経過していった。
そのかたわらで、ワイフはトールの自宅教室をやり、シルバーさんが来て、庭木の剪定作業をしてくれた。
熱心に仕事をしてくれているのだが、私は合わせる顔がない。ねぎらいの言葉ひとつかけられない。
なぜなら、私もシルバーさんに近い年齢になりつつあるからだし、おまけに、生産性の悪い仕事ぶりで、ウィークデーなのに、家の中に籠もっているのだから。
夜中に、ワイフがぽつりと洩らした。
「あれ〜? 冷蔵庫の中の日本酒がなくなっちゃった!」
「え? 僕が軽井沢で買ってきたやつ?」
「そうよ。あんな美味しい日本酒、初めてだわ。また買ってきて」
「わかったけど、ぼく、お猪口で1杯半しか飲んでないぜ」
「不思議ねえ。蒸発しちゃったのかしら?」
1月8日(金)「非常事態宣言・・・の風さん」
今朝未明、午前3時ころに会社へメールを送り、今日も有休にした。
もうカッコつけてる場合じゃない。背に腹は変えられない。
必死である。
同僚には、昨夜、決定版の改良前提条件をメール送信してあった。
今日は、計算には関与せず、ひたすら学位論文の本文を執筆するつもりだった。
それでも、同僚から、何とか美しい結果らしきものが出たとの連絡があったので、確認した。なるほど改善されている。
同僚も、今日の午後を有休にして、私からの依頼に対応する体制を整えると言う。
ありがたいことだ。
寝不足だが、やるっきゃない!
1月9日(土)「また徹夜明け・・・の風さん」
とにかく頑張るしかなかった。
今朝の2時過ぎに、突然、長男が書斎にやって来て、進路相談をしたいと言った。彼も大学3年生である。工学部の学生だった私も、その頃、小説家を目指す決心をしたのだ。……これは遺伝か?
そういうことがあっても、頑張るしかない。そういう私の生き方を説明したが、はたして、どれだけ通じたか。
とうとう午前5時を回ってしまった。
さすがにバテたので、シャワーを浴びて、午前6時にベッドにもぐり込んだ。
目覚ましを午前8時にセットした。常識では考えられない睡眠時間の設定だ。
それでも目覚ましでいったん目が覚め、その後、ウトウトしたが、8時22分に起床した。
普通に朝の行動をとった。
そして、論文執筆を再開。
頭脳は死に掛けているが、やれるだけやろうと思った。
そうして、正午前に、100枚の印刷も終えた。大野先生とゼミをやるための最低限の準備はできた!
昨年は、こんな危ない橋を何度渡ったことか。それも昨年暮れで一段落、と思っていたのに、甘かった。
午後から、久々に名古屋へ出撃。
本山キャンパスの事務で、中国人留学生のために『円周率を計算した男』を預け、そのついでに、小説を熱心に読んでくれる女性に『怒濤逆巻くも』を宣伝し、購入してもらった。学位論文で死にそうなのに、新人歌手のように売込みを忘れない私はいったい何者だ? 恐らく大ばか者に違いない。
途中コーヒータイムをはさんで、午後2時から6時半までの長いゼミをやった。
学位論文に関して、だいぶ気が楽になった。
なぜなら、公聴会の後でも修正ができるそうだから。
15分間しか乗らない帰りの地下鉄でうたた寝して乗り過ごし、それでもめげずに戻った名古屋駅で大判焼きをお土産に買い、寒空の下、家路についた。
1月10日(日)「ゴールが見えない・・・の風さん」
目が覚めたら既にお日様が高かった(笑)。
しかし、こうなると焦るより開き直る方に体が向いて行く(既にベッドの中でそうだったかも)。
既にそういう私の策略を読み切ったワイフは、
「どうせ会社休むんでしょ?」
と冷たい視線を投げかけてくる。今の私のピンチを上手に説明できないので、耐えるしかない。
とにかくやるしかない。
幸い、体調はまずまずだ。半月くらい前から腕立て伏せと腹筋をやってきたせいかもしれない。
それにしても残っている作業が膨大過ぎて、ゴールが全く見えない。
めげないのが不思議なくらいだ。
1月11日(月)「直前になってストーリー変更・・・の風さん」
今朝の4時過ぎに会社へメールを送った。
ワイフの読み通り、有休申請だった。シャバは休みだが、完全週休二日制の会社は出勤日のことが多い。
午前6時に仮眠のためベッドにもぐり込んだ。
起きたのは昼過ぎだった。
これだけ連日のように亭主が家にいると主婦は迷惑で、どんどん機嫌が悪くなっていく。自然の摂理である。
明日提出する学位論文の印刷用の紙がないことを先週から訴えていたが、補充されていなかった。だからと言って、それを責めるなどもってのほか。
明日は、ギリギリまで待ってくれている大学の事務室へお土産を買って行こうと思っている。これは私のスタイルである。それも以前から宣言していたし、私の性癖をワイフは熟知している。だからと言って、購入を頼むなどもってのほか。
昼食後(それが起きて最初の食事だったのだが)、ミッシェルで外出した。
(いい天気だなあ)
最高のドライブ日和である。
観光地に住んでいるので、祭日のため多くの観光客と出くわす。
1時間以内に戻ってきて、学位論文作成作業に再着手。
もうここまできたら、体裁を整えることを優先するしかない。中身にこだわっていると、出来の良いパートと悪いパートが目立ってしまい、結果として未完成がばればれになる。少なくとも「パッと見」だけはきれいにしなければならない。
午前零時までそれを全力でやっていた。が、会社の同僚と相談していた論文の後半部分が、当初の思惑通りに書けないことが判明したため、急遽、午前零時からストーリーを変えた後半部分を、再作成というより、研究しながら書く羽目になってしまった。図やグラフも新規なものが必要だ。
こうしてどんどん時間が経過して行った。
寒波が来ていて寒いのだが、私の頭脳は沸騰していた。
1月12日(火)「一難去ってまた一難・・・の風さん」
そのまま朝になってしまった。
外は冷たい雨がぱらついているようだったが、今の私には関係ない。
6時頃から印刷を開始したが、100枚もの論文を「ラストページから印刷」ができない。結局、3部とも、プリンターの横に張り付いていて、並べ直しをしながら、提出書類をそろえていった。
ようやく朝食のために階下へ降りて行ったら、ワイフがいた。
「とりあえずできた!」
と報告すると、
「やればできるんじゃん」
とバッサリ。まだできてないっつぅの(^_^;)。
シャワーを浴びて、9時半にミッシェルで自宅を出発した。
大学の事務室までは、片道50km以上ある。当然有料道路を使った。
寝不足なので、運転は慎重にする。
無事に提出書類と学位論文とお土産を渡し、外へ出た。
ミッシェルでそこまで入ってきているので、いつでも出発できる。
しかし、少しでも開放感を味わいたかった。
売店でコーヒーとクッキーを買ってきて、ミッシェルのそばで、学生たちが行き来するのを眺めながら食べた。
思いもしなかった学生気分を味わうことができ、今まさに、それが学位取得という形でゴールにたどり着こうとしている。人生は、自分の思うようになどできるわけがない。しかし、何か違うとか、他のことをやりたいとか、思いつつも、そのときそのとき与えられた状況の中で、少なくとも全力でやってきたからこそ今がある、のは間違いない。若い人たちにもそういう人生を歩んで欲しい、と年寄りくさく思った。
そこからまっすぐ製作所へ向かい、午後から職場に復帰することができた。
しかし、職場に戻ってビックリ。『日本経営工学会論文誌』に投稿した論文の最終修正指示の手紙が届いていた。英文アブストラクトを親切にもネイティブが添削してくれて、真っ赤になっていた(笑)。それから、恥ずかしいことに、論文の最後の参考文献一覧の表記がてんでんバラバラで、これも真っ赤に書き込みがされていた。
18日(月)必着で返却しろという指示だった。
帰宅し、夕食後に2時間くらい仮眠してから起き出して、『経営情報科学』に投稿した論文の校正作業に着手した。これまでできなかったものである。やればできる内容でも時間がなければできない。15日(金)必着で返却しなければならない。
その勢いで、『日本経営工学会論文誌』に投稿した論文の、英文アブストラクトと参考文献の記述を修正した。
意外と時間がかかって、就寝したのは午前4時だった。
1月13日(水)「次の論文に取り組む風さんの巻」
出社途中、『経営情報科学』に投稿した論文の校正済ゲラを投函した。
こうやって、一つ一つ決着をつけていかなければならない。
『日本経営工学会論文誌』に投稿した論文は白黒印刷されるため、図表を白黒にしろ、という指示もあった。
一から作り直していたら、また今夜も徹夜になってしまう。ワード原稿に貼り付けたままでカラーから白黒に変換できないか、ITに詳しい同僚に聞いたが、それなりの手順が必要とのことだった。
しかし、ありがたいことに、同僚が「やってあげましょう」と言って、全部やってくれた!
これで今夜の徹夜は回避された。
帰宅し、日本経営工学会へ送り返す準備をしながら、たまっていた雑務もやった。久しぶりに気まぐれ日記も少しだけ更新した。3月に上京するので、そのためのホテルも予約しておいた。
昨年の暮れにメーリングリストを使って実施していた座談会の原稿が仕上がってきて、皆がチェックを始めたのだが、私はまだとても手をつける気になれない。これが紙に印刷されたゲラだったら、今頃、必死になっていたかも。
それでも、結局、就寝は午前2時になってしまった。
1月14日(木)「どっちも嫌い・・・の風さん」
出社途中、『日本経営工学会論文誌』に投稿した論文の最終版を、CDとハードコピーにして、投函した。
また一つ、とにかく終えた。
次は、「日本機械学会生産システム部門講演会2010」のための前刷提出である。明日が締め切りだが、幸いなことにpdf化してメール添付で送ればよいのである。
会社で午前中、診療所に呼ばれて行った。例の胃腸病院で受けた胃カメラによる2次検査結果についての問診である。どうせ結果は聞いているのだから、行きたくなかったが、半分ふてくされながら、とにかく行った。
最後に、
「どうせ2年後にバリウムを飲んでレントゲンを撮ると、また胃カメラの2次検査になるから、最初のバリウムはパスして、最初から胃カメラということで登録しておきましょうか」
と提案された。会社らしい提案である。社員を管理下に置いておきたいので、めんどうなことは省きたいのだ。
しかし、私の返事はそっけなかった。
「登録しません」
「じゃあ、またバリウムからやりますか?」
「バリウムも胃カメラもどっちも嫌いだから登録しないのです」
今、登録したら、2年後の胃カメラを約束してしまうことになる。
しかし、そもそもバリウムは任意なのである。
フリーで臨めば、私には、@すべて拒否、Aバリウム検査を受ける、Bバリウムをスキップして胃カメラ検査を受ける、という3つの選択肢が、そのときの体調と気分で選べるのである。
帰りに某郵便局に寄り、個人特定の郵便物を受け取った。ついでに、咸臨丸子孫の会の年会費を送金し、記念切手も買った。
「日本機械学会生産システム部門講演会2010」の前刷作成に着手。
何とか午前零時までに寝たかったが、そのころに英文アブストラクトのへぼな案ができたので、とりあえずご指導を頂戴するため大野先生へメール送信し、その後も、前刷作成に専念した。
就寝は午前2時過ぎになってしまった。
毎日これじゃ死ぬな。
1月15日(金)「定年まで会社がもつか・・・の風さん」
今日は定時後飲み会があるので、電車で出社したかったが、起きられなかった。ミッシェルで出社する時間よりも40分程度早起きが必要なのだ。体内時計が一般人と明らかに1時間ずれている(遅れている)ので、早朝は苦手なのである。いや、無理して起きられないことはない。しかし、そうした場合、1日頭がボーッとしてしまう。擬似徹夜明け状態になってしまう。
……ということで、普通に起床して、ミッシェルで出社。飲み会には出るが、アルコールには手を出さないことに決めた。基本的に飲兵衛ではないので、こういうとき楽だ。
出社したら、大野先生から英文添削結果が届いていた。ありがたい。それを盛り込んで、午前中に前刷が完成した。午後からは、学位論文の中でおこなっているコンピュータ計算の内容について、同僚と吟味した。実に1週間もの間、この検討ができなかった。明日は、大野先生とゼミをやるので、提出した論文の中で不完全だった計算結果については検討を加えておく必要があった。
定時後、ミッシェルで飲み会が開かれる寿司屋へ行った。定年退職される先輩の「謝恩の会」である。定年まで勤務する気のない私には訪れない飲み会だ。もっとも、定年までだんだんカウントダウンが近付いてきたから、ちょっとヤバイ気もする。自分の夢の実現こそ最も大事なはずだが、色々な事情で計画通りに行かない。これまでは、重要な仕事を会社で任されていたので、我が儘だけではどうしようもなかった。しかし、昨今の不景気は、製造業に対し、強烈なカウンターパンチと続けざまのボデーブローを打ち込んできた。日本の経済は製造業でもっている傾向があるので、これはかなりヤバイ。どこかの航空会社とはワケが違う。このままデフレに落ち込んだ場合、勤務先が属しているTグループは共倒れするだろう。倒産か大幅リストラでかりそめの命をつなぐしかなくなる。
おっと、暗い話になってしまったが、定年退職される人がいると、どうしても話題はそういう現実を直視したことになるのだ。
飲まずに帰宅して、午前零時前にpdf化した前刷を送付することができた。
本当に怒濤の1週間であった。
1月16日(土)「厚徳載物・・・の風さん」
学位論文は提出後ほとんど進んでいなかったが、大野先生の尊顔を拝するため出かけた。
ゼミの前に、五大路子さんからケータイに留守電が入っていた。『怒濤逆巻くも』のお礼と新年の挨拶だった。それよりも、しばらく体調を崩しておられたそうで、後で、直接電話で話すことができたが、今は大丈夫とのこと。いつもの調子で、話がはずんでしまった。今年こそ、塩原温泉に行けそうだ。
学位論文がほとんど進んでないと打ち明けたら、「じゃあ、コーヒーでも飲みに行きましょう」ということになり、下のドトールへ行った。
その後も、雑談交じりに学位論文の進め方について相談したのだが、けっこう有益だった。
ゼミは早めに切り上げた。
名古屋駅で、帰省から戻った中国人留学生と落ち合って、お土産をちょうだいした。
掛け軸で、溥儀の甥にあたる人が書いたという「厚徳載物」、立派な書である。大きさも畳1枚分くらいある。
帰宅してとりあえず食堂のカーテンレールから吊るしてみたが、あまりの立派さに、うちでしまい込んでしまってはいけないと思った。多くの人に見てもらう必要がある。地元の図書館にでも相談しよう。
夕食後、昨年の12月分の経費伝票整理をした。
1月17日(日)「書斎の整理整頓に着手・・・の風さん」
朝、目が覚めたら既にお天道様が高かった。寝ぼけていた私は、
「しまった! 寝坊だ。有休……にするには、このところ休み過ぎているし……」
としばらく胸がドキドキしていた。
罪滅ぼし(?)に、天気も良かったので、屋外のタンクに灯油を2缶入れた。最近寒かったので、かなり減っていた。
昨日に続いて次女はセンター試験である。終わったらクルマで迎えに行こうとしていたワイフが、「そのまま遊びに行くからいい」と言われてくさっていた。
年末年始もずっと粗大ゴミの私を抱えてストレスのたまっているワイフなので、実に久しぶりにランチに誘った。
北へ行こうと言う私に逆らって、ワイフは南を指したので、海岸通りを南下した(笑)。
私にとっては初めての和食レストランに入った。海の見えるレストランで、穏やかな海が広がっていた。よく見ると、鵜か鴎がときごき潜って餌を獲っていた。望遠レンズで撮影したらネッシーに見えるだろう。
信じられないのどかなランチであった……が、近所のレストランには、不況でつぶれたところもあって、胸が痛んだ。
帰宅し、今日こそは、と力瘤を入れて、書斎の整理整頓に着手した。パート1の今日は、散らかっている物を全部書斎から長女の部屋へ運んだのと、捨てるものをできるだけ捨てたこと。
午後10時過ぎまでかかった。終わるまでひと月くらいかかるだろう。
1月18日(月)「親しみの木星・・・の風さん」
先週の金曜日から変なのだが、会社の入退場のときにかざすICチップ入りネームプレートを、リーダーが容易に認識してくれない。ケースから取り出して、上下反転させたり、表裏交換したりしてやっと認識される。
今日も何度も引っ掛かり、苦労した。どうやら、私もだんだん影が薄くなり、会社の中での存在感がなくなっているに違いない。学位論文で振り回され、有休をとりまくっているから仕方ないかも。
出社してラジオ体操から1日が始まったが、息つくヒマもない忙しさ、密度の高さで、時間が経過していった。
夕方から本社出張の機会があり、また本社であれこれと雑用もこなした。
それでも、しっかりミッシェルに給油することは忘れなかった。
今夜も穏やかな気候の夜で、南西の空に氷の刃のような三日月が輝いている。さらにその左側に赤っぽく光る天体があった。色が赤いといつも火星かと思うのだが、木星だった。大きな木星はしょっちゅう目にする。親しみのある惑星だ。
帰宅し、夕食までのわずかな時間に、書斎に掃除機をかけた。大仕事も少しずつこなさないと先へ進まない。
またまた楠木誠一郎さんから新刊が届いた。角川つばさ文庫、『大江戸神龍伝 バサラB』である。着実にシリーズが続いている。タイムトリップ物だ。つばさ文庫らしい編集者の名前と文字が封筒に書かれてあった。
1月19日(火)「相変わらず何やってんだか・・・の風さん」
不調のネームプレートについて職場の担当者に相談したら、あっという間に新品ができてきた。
不具合の原因は分からなかったが、あまりにも早く新品が入手できたので、驚いた。ICチップが内蔵されているだけでなく、表面に顔写真まで印刷されているのだ(かなり古いが)。
定時後、某図書館へ借りている本の継続のために直行した……が、既に閉館していた。まだ6時半だったのに。止むを得ず、返却ポストへ入れてきた。
帰宅して学位論文に着手……しようとしたが、その前のメールチェックで疲れてしまい、くじけた。
1月20日(水)「そろばんの達人・・・の風さん」
日本数学協会から『数学文化』最新号が届き、昨年、四日市大学の小川束先生からうかがった話を思い出した。
「鳴海さんの勤務先にいるそろばんの達人に、建部賢弘の円周率の計算をしてもらったんですよ」
そのときうっかり名前を聞くのを忘れたので、その話題まで多忙な日々を過ごしているうちに忘却していた。
それが、『数学文化』の記事で、達人の名前も判明したのである。
そこで、会社のアドレス帳をたぐって、所属を調べ(遠くの製作所に勤務していた)、アドレスも把握したので、メールしてみた。
すぐに返信があった。
この人は、そろばんが10段で、日本数学協会の会員ではないが、競技会によく出ているそうだ。今回のプロジェクトに参加したのも、そういった前向きというかチャレンジ精神の表れだったらしい。
そろばんの達人でも、数日がかりでないと42桁もの円周率の計算はできないことが分かり、あらためて建部賢弘の偉大さ(六十歳近くなってやっているのだから)を感じた。
1月21日(木)「愛新覚羅一族・・・の風さん」
中国人留学生からお土産にもらった書「厚徳載物」を書いたのは、愛新覚羅(あいしんかくら)・毓嵐(いくらん)という、清朝の王族の一人で、溥儀(ふぎ)の甥に当る人物だった。
最初、愛新覚羅・毓嵐でネット検索してみたら、著名な女性の山水画家がヒットした。
それでビックリしたのだが、実は同姓同名の男性の書道家が正解だった。
愛新覚羅とは満州の部族名で清朝を打ち立てた家系である。男装の麗人、東洋のマタ・ハリと呼ばれた川島芳子の本名が愛新覚羅・顯し(王偏に子)((けんし)である。
一族には芸術家がたくさんいる。広島県には一族の作品ばかりを収蔵する愛新美術館があることも分かった。
とにかく立派な作品なので、私が秘蔵してしまうのはよくない気がする。
定時後、行きそびれていた床屋へ直行し、やってもらっている間、MOTの参考書を勉強した。
1月22日(金)「喜んだのもつかのま・・・の風さん」
明日はゼミなので、定時後も同僚とコンピュータを用いた計算について打ち合わせ、一段落したところで退社した。
今夜は、ワイフは南の方の婦人会に招かれてトールペインティングを教えに行っている。
帰宅したら、さっさと夕食をたべて学位論文をやらねば、と思っていた。
すると、うれしい小包みが届いていた。応募してあった田村正和とのじゃんけんに勝ち、さらに抽選にも当ったらしく、景品が……(苦しい家計を、私はこうやって助けているのだが、ちっとも感謝されない)。
喜んで浮かれたわけではないが、着替えるために寝室へ行って、クロゼットにしたたか右足先をぶつけてしまった。突き指をしたみたいに親指が痛い。
長男にカレーを温めさせて、夕食となった。
終わって珍しく長男が話しかけてきた。
「お父さんの『怒濤逆巻くも』読み終わったよ」
「そうか。どれくらいかかった?」
「1ヶ月」
「それで、感想は?」
「勝海舟が嫌いになった」
「そうかそうか」
そこで、ふと右足の親指に違和感が……。
靴下を脱いでみたら、爪がななめに割れていて、出血していた!
急いで、洗面所で洗い、消毒液で……とりあえず消毒したが、さてこれからどうなるか。
急にまともに歩けなくなるから、人間とは気持ちだ(笑)。
徹夜覚悟で書斎へ向かった。
1月23日(土)「けなげな努力・・・の風さん」
昨夜はたいして根性を出して頑張ったわけではないが、あっという間に夜明けが近付いてきた。
当然空腹も感じたので階下へ降り、台所で何かないかと食べ物をあさった(まるで浮浪者だな)。結局、ジャーから暖かなご飯をよそって、納豆をかけて食べた(我ながらすごい夜食だ)。
午前5時に限界を感じた。
いつものように書斎の床にごろりとダウン。
幸いにもそのまま永眠しなかったので、午前7時に起床(?)。実は、このあたりから時刻が不正確になっている。
朝食は摂らずにコーヒーだけにして、再度、論文作成に着手。
ゼミのために名古屋へ出発する1時間前になったと思ったので、作成作業を中断して、データをメモリに格納しつつ、プリントアウト作業に移ったのだが、このとき、机の横の時計が1時間遅れていることに気が付いた!
電池切れだった。
私自身も電池切れになりたかったが、そんな甘えは許されない。不安を抱える右足親指の割れた爪をワイフのマニキュアで固めて(まるで往時の江川卓投手だな)、出発。
足を引きずりながらも、ゼミには30分遅れでたどり着いた。
いつもより30分早くゼミを終了したので、約2時間の指導を受けたことになる。やはり来てよかった。
名古屋往復の電車でいくらか睡眠を補充したが、それで復活するほどタフではない。
夕食後は書斎で同僚とメール交換しつつ少し雑用もし、オンザロックを飲んで今夜は早めに就寝した。
1月24日(日)「多忙な1日でも、論文は進まず・・・の風さん」
長男はN芸大3年である。いつもこの時期にある作品展を観に、ワイフとミッシェルで出かけた。
どうやら足は問題ない。
快晴だが、1年で最も寒い時期ではある。電池式カイロも用意した。
名古屋まで快調に飛ばしたが、名古屋高速で追突事故による渋滞にはまってしまった。インター合流地点での5重の追突事故だった。
作品展見学は3回目なので、もう慣れている。長男の作品をチェックした後、他の学生の作品も適度にチェック。基本的に与えられた課題を作品にしているのだが、その枠の中でめいっぱい自由に自己表現しているのだ。当事者は気付いているかどうか分からない。しかし、こんなに自由に創作ができるというのは、とても幸せなことだし、一方で、真の実力が試されていることでもある。共産圏に住んでいれば、表現の自由は制限されるわけだし、職業として創作に取り組んでいれば顧客の要求にこたえることが一番になってしまうのだから。
電池式カイロのありがたみはあまり感じられなかった。それほど今日の大学構内は寒くなかったのだ。
帰り際、知り合いのご夫婦とバッタリ。彼らのお嬢さんも、うちの長男と同級生なのだ。
これまた恒例の、近くのレストランで遅めのランチとなった。不景気にもかかわらず、客がたくさんいた。安くて美味い、と言うか、和食なので工夫した料理を実に丁寧に作って出しているので、人気が落ちないのだろう。今日は気分よくデザートのアイスクリームも注文した。
帰りに電気屋と薬屋とガソリンスタンドに寄った。
帰宅する頃はすっかり夕闇が迫っていたが、明らかに日が長くなってきていることも感じた。私は日が長いのが大好きである。
夕食後、最低限こなしたかった雑用(今日は終日雑用ばかりと言えばそれまでだが)の残りをやっていたら、もう就寝時刻になってしまった。いつもそうだが、手紙を書くのに時間がかかった。
結局、今日は論文に着手できず。連載原稿にも手を付けたかったが、それもできず。
1月25日(月)「寒い1日・・・の風さん」
再びネジを巻いて頑張らねばならない1週間が始まった。
……しかし、今日は社内が寒かった〜(笑)。あれこれと取り組んだが、どれもこれも寒さのせいか不完全燃焼。
さらに定時後まで作業が終わらず、退社時刻が遅くなった。
お陰で帰りに郵便局に寄って振込みをする計画は断念した(明日外出するワイフに頼んだ)。郵便物だけは、コンビニのポストへ投函した。
帰宅は遅くなったが、夕食もずるずると遅れていた。子供たちが大きくなっていると、食事時間が不規則でも母親は気にならなくなっているらしい。しかし、お陰で温かな料理にありつける。
とは言え、もう書斎で作業をする時間が少ない。
超高速でてきぱきと……やっているつもりだが、きっとのろのろやってるんだろうなあ。スキャナーを駆使してPDFファイルを作り、重要メールをいくつか送った。
『代表作時代小説』に掲載する「作者のことば」に取りかかったのに、できなかった。短い文章なので、気の利いたことを書かなければならない。今夜はひらめかなかった。
と言うことで、今夜も論文に着手できず。おい。いいのか?そんなんで……。
それにしても寒い1日だった。
1月26日(火)「なんとか作者のことばを完成・・・の風さん」
意外と学位論文の計算に手こずっているので、気持ちが焦っている。
今朝、出勤時、ミッシェルの積算距離計が146000kmをこえた。ここ半年間で、2回軽井沢へ出かけたので、距離が伸びた。そういったロングドライブは別にして、毎日少しずつでも走っていると、この積算距離計は増えていく。人生というほど大袈裟でなくてもいい。こつこつと積み上げていく大切さを教えてくれている気がする。
学位論文の計算も、知らないうちに迷い道へ入ってしまったが、着実に調べながら復帰していけばいいのだ。
同僚の協力で、今日も遅くまで計算の迷い道の調査が続いた。
帰宅が遅くなった。昨日は帰りに郵便局に寄れなかったが、振込みをワイフに頼んだのは正解だった。今夜も寄れなかったのだから。
夕食後、『代表作時代小説』の「作者のことば」に取り組んだ。昨夜は不調だったので、今夜は、EXILEを聴きながらやってみた。不思議なくらいなめらかに文章が出てくる。音楽の力だろう。
CDに入れ、しっかり梱包して、郵便物として完成させた。
結局、今夜はこれだけで終わってしまったのだが、とにかく前進した。
1月27日(水)「計算がようやくゴールに・・・の風さん」
出勤時、コンビニに寄って、「作者のことば」を投函した。
今日こそ計算の決着をつける覚悟だった。
ところが、夕方、大学から連絡があり、なんと、公聴会が平日の夜になってしまったという。2月10日(水)で、八草キャンパスで開催される。社会人学生にとっては不利な条件だ。聴講者も多くは期待できない。そして、何よりも、予想していた13日(土)より3日早まったことが、少々頭が痛い。
とは言え、とにかく計算を仕上げなければ。
同僚が粘り強く協力してくれたので、かなり難しい作業だったが、定時後までかかって、何とかゴールに駆け込んだ。
セキュリティの問題で、せっかく計算した成果も、簡単には社外に持ち出せない。メール添付して送ることになるのだが、ファイルが重いため、トラブルがよく起きる。
何とか会社のセキュリティチェックをパスし、プロバイダーのサーバーも受け付けてくれたようだ。
明日の午後、大野先生と八草キャンパスでゼミの約束をしている。今夜の計算結果を持っていくのが精一杯だが、私の元気な姿を見せておくことが大切だ。
学位論文に徹夜で取り組もうかと思ったが、ここ数日の頑張りで、体力的にもう限界だった。
とりあえず納期が来ていた、3月の松山行きの航空券の支払いだけをネットで完了させた。
そして、この続きは少し仮眠してから、と思ったのが運の尽き。そのまま熟睡の海に沈没してしまった。
1月28日(木)「顔を見せただけのゼミ・・・の風さん」
しっかり寝てしまった(笑)。
外は小雨模様。何となく気分が落ち込みそうだ。ドンマイ、ドンマイ。
メールで会社へ有休申請をし、安心して学位論文に着手したが、午前中の3時間程度で目立った前進があるわけがない。印刷することも諦めて、とにかく出かけることにした。
卵かけご飯と納豆ご飯を胃袋におさめてミッシェルで出発。
八草キャンパスまで片道50km以上ある。半分は有料道路を走るのだが、一般道もけっこうある。
しかし、快調に走ることができて、1時間10分で着いた。睡眠が十分だったので、ハンドルも軽かったのだ。
ゼミは1時間で終えた。それでもやはり顔を見せたことが良かった。大野先生は、続けて他の院生の面倒を見始めた。
公聴会は2月10日の夕方というより夜になりそうだ。
3年間の社会人研究もいよいよクライマックスに近付いている。
帰りは、天気は完全に回復していたが、1時間と15分かかった。
夜は図表の更新だけに専念することにした。
1月29日(金)「○暴の人やーい・・・の風さん」
出社時、無謀な追い越しをかけてくるばか者がいて、あやうく正面衝突しそうになった(実はそれほどでもないが、相手にとっては運が良かっただけだ)。
会社の同僚……と言うより大先輩だが、明日が誕生日のため、定年で今日退職になった。63歳。これからは年金生活をされるとおっしゃる。しかし、長い人生、きっとこれからも活躍されるに違いない。
たとえ同期入社でも、4月生まれと3月生まれでは、勤務期間が1年近くも異なることになる。よりたくさんの給与をもらう方がいいのか、早く自由な身になる方がいいのか、その人のライフスタイルで決まることだ。私の場合、後者を求めている……けれども、性格的に、きっとヒマでのんきな生活は死ぬまで過ごせないだろう(笑)。
今日は久しぶりに会社の仕事に専念しようとした。が、会議が多く、作家や学生として悪戦苦闘しているのと全く同じで、何のアウトプットもないまま、あっという間に定時後になってしまった。
止むを得ず残業して、帰りにはミッシェルに給油もして、少しは仕事をした気分で帰ることにした。
信号待ちをしていたら、右折車線を平然と通って青信号で直進していくばか者がいた。
以前、愛知県のドライバーのマナーの悪さを非難したが、今日は別の意見を言おう。
「暴力団待望論」だ。昔は、変な運転をしようものなら、追いかけて行って焼きを入れてくれる○暴の人がいた。
今、おかしな運転をする奴は普通の奴だと思う。警察はこち亀のような行動はできないし、たるんでもいる。そうなると、焼きを入れてくれる○暴の人が欲しい。昔は、子供のころからそういった生意気な奴は腕力のある奴に痛めつけられるのが当然だった。それがないから、普通の奴が悪事を働いているに違いない。
1月30日(土)「執筆三昧の週末がスタート・・・の風さん」
久しぶりに土日とも外出予定がない。外は快晴だが、たまっている執筆を一気に進めるチャンスである。
7時間の睡眠をとって普通に起床した。
午前中は連載原稿の下書きを完成させようとしたが、届かなかった。
昼食のデザートでみかんを食べた。実は、私の住んでいる土地ではみかんが名産品の一つである。形はあまりよくないが、味は絶品である。商品名は「みはまっこみかん」と言う。
食べたみかんは地元の人からのもらい物で、形はふぞろい、味もばらつきが大きいが、平均的な美味さは水準をこえている。子供らは喜んで食べないので、私が1日に2個ずつ食べることにしている。それがようやくなくなりそうだ。ありがたいことだ。
みかんを食べた後、天気が良かったので、屋外タンクにポリタンクから灯油を移し入れた。2個、36リットルだ。
結局、夕方まで下書きに時間をとられた。
それから学位論文に着手したのだが、まだまだできていない図表が多く、それに取り掛かった。単純な作業だが、とっても精神的には良くない。手も指も脳の指令通りに動かなくなってくる。
結局、午前1時半くらいまでかかって、かなり仕上げることができた。
1月31日(日)「とりあえず連載原稿をしのいだ風さんの巻」
昨夜の就寝が遅かったので、当然起床も遅くなった。
午前中に連載原稿を仕上げようと昨日の朝までは思っていたが、とても無理だった。
昨日と違って小雨がぱらついている。天気は悪いが、余裕があれば、書斎の整理をしたいのだが、まだ当分できそうもない。
結局、夕方までかかって何とかカッコがついた。
そこから学位論文に取り掛かったが、若い頃と違ってエネルギー切れ寸前である。夕食時までちんたらぽんたらやるのが精一杯だった。
それで、夕食後は、連載原稿を片付けてしまおうと、腕まくりして取り組んだが、画像データの借用依頼を国会図書館に出して、編集者へ原稿データを送信し終わったのは、午後11時半だった。なーんだ、今回も締め切り寸前じゃないか。
次の連載原稿は少し勉強が必要である。気を引き締めてかからないと……。
2010年2月はここ
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